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東日本大震災関連


東日本大震災に被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
皆様の安穏と、一日も早い復旧を衷心よりお祈り申し上げます。
 

震災回向 大槌・大船渡

〇復興と慰霊と  遍照院寺報28号(2012/3)掲載

 海まで遮る物なき平地には、コンクリートの基礎だけが整然と並んでいる。点在する建物は扉も窓ガラスもなく、吹き抜ける風に破れたカーテンが揺れていた。建築のコンクリートはひび割れ、鉄骨が見える。巨大な防波堤の隙間に挟まる毛布やタオルらしきものに、ゾクッとした。さざ波の光る青い海と眩しい空が、人跡の失われた地の儚さを一層駆り立てる。
 
 あれから一年。沿岸は変わっていなかった。自衛隊・警察消防・ボランティアの方々の懸命の努力で瓦礫が撤去された、それだけであった。かろうじて生活をするも、狭い仮設住宅でする事も無い日々に、手付かずにそびえ立つ廃墟と失われた町を目にする日常・・生涯現役で海とともに働いてきたのだ、どれ程の苦しみを抱えて生活されているのだろう。様子がおかしくなったとの声も聞く。

 仏典の「毒矢の譬え」を出すまでもなく、非常時に行うべきは眼前の現実への対処。被災者に直ぐに必要なのは、健全な生活環境だ。戻れぬとて、揺籃の地を去り難い人が多いのだ、非常事態の特例法で集団移転・新土地の提供とて、行政がその気になれば出来た筈だ。莫大な義援金も何処へ消えた?恩恵に与れない被災者も数多なのに。寄付者の心が直接反映できるシステムは出来ないものか。

 新市街地ビジョンに、地元民も不要という更なる巨大堤防計画、震災モニュメントだの、そんな事が今必要か?理想論に手間ヒマをかけるが復興か?。だが、生活再建は行政が動かねばどうにもならない。被災地に行かれた方ならお分かりだろう、かける言葉など今も見当たらないのが実際だ。今も辛い日々を過ごす人々がいる。何とかならぬものか。

 3月11日。当山では、心ある信徒の方とささやかな追悼法要を行った。各宗教団体が被災地で法要ヤルゾとPR、被災地にも多くの寺があるのに、地元の寺に非ざる者が忌日に押しかけるのは、地元にはアリガタ迷惑とも思うが如何。

 だが、その夜の各局TVニュースには怪訝を抱いた。政府の慰霊祭は無論、各地の慰霊祭の模様に和尚の姿がない。僧形を見たのは僅か一、二件。神父や牧師の姿もない。まさかとは思うが、殆どの慰霊祭が宗教者排除なのか。過剰なまでの政教分離と、近年流行の歪な素人式供養が幅を利かせた証か。

 然し、である。慰霊祭は故人を偲ぶということで、それはいい。だが、仏教を始め、他宗教でも来世の救いは「崇高なる宗教的力」によるしかないと説く。即ち、宗教家不在の慰霊祭は供養とはいえない。これで事足れり、ではない。

 古来、非業の死者の鎮魂は容易でないのは常識である。何故なら、あの世はこの世の延長に過ぎないから。心を割り切るのが如何に難しいか、自身を省みたら納得出来よう。とすれば、犠牲者の無念を想うなら、並大抵の供養では足りないのも察せられよう。日本中の寺々で慰霊法要がなされて来た。世界中で追悼されてきた。しかし、供養の基本は近親者。縁者や菩提寺により犠牲者の懇ろな供養が行われることを願う。

 震災に際し、当山も心ある寺院様方や信徒様からお心遣いをいただいた。表立たずとも皆、長引く不況の中、各自に精一杯の支援をされている。日本国民で多少に関わらず、支援に一切参加しないという人は恐らく皆無ではないか。こんな世だが、国民性はまだ地に堕ちていない、誇りを持てるかな。

 それに引き換え、むしり取るしか能のない最低最悪のドジョウ政治は、原発事故の賠償金にまで所得税、トドメに増税と、経済オンチを越えて、人でなしと化した。生活が補償されているご身分には、その酷さなど分からないのでしょう。放射能も、民間識者の警告と行政情報のギャップは何だ?行政に殺される。一人一人が自己防衛に目覚めねばならないのに、増税を容認などしていて大丈夫か?。

 大槌から戻ってテレビをつけると、三陸沖にM6.8で津波注意報発令、沿岸の人々が避難中。向こうにいる時だったら、と思うとヒヤッとすると共に、被災地の人々の絶えざる心悩を思う。三陸沖は再びの大地震の可能性も想定されている。原発も作業員が決死で抑えているに過ぎないという、終わりなき脅威。食の安全性や人体への影響の問題なども、何も終息していない。楽観してはいられない。

 この世もあの世でも、震災は終わっていない。大地震多発の日本全国、原発からの逃げ場はない。安易に捉えてきた我々の業というべきか。覚悟と備えと鎮魂は必要であろう。そして、ここに生きてゆかねばならぬ私達は、神仏の加護を祈り、各々にとって強く生きるための希望も持しておきたい。

 

震災回向 流水潅頂〇被災地に思う 遍照院寺報24号掲載 2011/4

 東京大空襲も経験したが、そんなもんじゃない。あれは「悪魔だ」・・津波に襲われた人はテレビでこう語った。
 3月11日激震後、停電となった花巻には雪が降り積もった。その後も季節外れの低温に突風。執拗に続く余震。GSには超大縦列。コンビニ閉店。真っ暗闇の町。異様な風景がそこにあった。

 気仙沼は当日夜、大吹雪であったという。激震が町を破壊し、海から迫る巨大な黒い壁が、船を街を一飲みにしてさらい尽くし、瓦礫の町を容赦ない炎が焼き尽くす。冬でも温暖なこの地域で、着の身着のままの避難者に襲い掛かる降雪と低温と余震。テレビでは建物に乗った船や電柱の上の便座など、自然にバカにされているような画が映る。

 人間の存在と築き上げてきたものを嘲り笑うが如く、破壊し痛めつけてくる。一か月後の4月11日、震災に皆が改めて思いを致す中に再びの激震。正にこれは「震災」を超えた「悪魔」であった。

 物資を積んで沿岸を行く。行き交う自衛隊車両。三陸の美しい山と海の麓、眼前の全てが瓦礫。破壊されつくした小学校が人の営みがあった証明。メディアで絶望的光景は見ていたが、目の当たりにすると言葉が無い。カメラを持っていたが、シャッターを押す気にはなれない。

 本当に何も無い陸前高田に目を疑う。壮大な松林の高田松原は痕跡もない。静かな海には、大きさ数メートルの巨大な防波堤が投げ捨てたように転がっている。四階まで破壊された建物、遥か山際まで続く失われた平地。数キロ奥まで散乱する巨大な松。「この土地では絶対に津波から逃げられない」。復旧した一本道で渋滞の中、寒気がした。

 空襲にあったかのような瓦礫の山に巨大な船が乗り上げていた鹿折唐桑。この世の果てにいる錯覚に襲われる。三週間経つが道路も復旧していない。気仙沼もグチャグチャ。流れてきた巨大船の火災が凄かったと言う。犯罪や不審者も横行、港は重油に死体、復旧は可能か、店は続けられるのか。心が痛い。

 大槌は焼け焦げた瓦礫とさらわれた泥地。涙が止まらない。四週間経つが潮の香とは違う異臭がする。津波前には海の音がしないほど波が引いたらしい。前からは瓦礫の壁と化して何度も襲い来る津波、後からは迫る炎、暗闇の夜を瓦礫の中あちこち逃げ回ったという。仏教には、閻魔様や鬼が描かれた地獄絵という苦しみの世界の絵があるが、話だけでこの地は地獄絵どころではない惨状だった事が知れる。

 ここの避難所はずっと気付かれず、関西の人が無線を受信して発見されたそうだ。家も小屋も船も流され、家業の若布はもう辞めると言う。跡形もない造船所。巨大な防波堤は至る所で傾き、瓦礫の中にあの「はまゆり」が見えた。風光明媚な山と海の狭間の町は壊滅した。鵜住居も釜石も無残な残骸と化していた。

 海に生かされ、海に殺される・・言葉にならない現実を目の当たりにした。何事も無かったかのように、穏やかな日差しを照らして静まる海は悲しさに追い討ちをする。振り絞る読経も海の前にあまりに小さい。僅かに波打つ水面に消えゆく卒塔婆にせめてもの慰霊を託す。

 支援のされない自宅難民の窮乏、ニュースにならない横行する犯罪に不審者、破壊された町でも留まりたい心情・・報道されない、救われない現実。誰もが疲れ果てながら気力を振るって生活している。そこに、頑張ろう?みんながついてる?未来を信じて?日本は強い?・・明日の生活の見通しもがつかない人にそんなCM垂れ流しが何になるというのか、ウルサイだけだ。「やれる事をやりましょう」?そんな事言われずとも皆、今を精一杯生きている。

 震災は天罰だ、全て一掃だと石原都知事は言った(後に撤回)。他者にも似た発言はいくつかあったらしい。被災者をバカにした発言だが、天変地異が起きると「神の怒りだ、この教えを信じないからだ!」と絶叫する宗教も古今ある。時勢柄、そんな不安も少なからずある様だ。

 大師に聴こう。弘法大師は国家的(自然)災難の原因を「時運と天罰と業感」の三種に説明されている。

 第一原因は時運=時代の不可抗力、という。今震災では、大きい所で一m近くの地盤沈下と五m以上の地殻移動が確認されている。震災後一ヶ月で更に動いているとの事。かつて理科の授業で習った地球の「大陸移動」の、正に時期と現場に出くわしたのだ。誰のせいでも何のせいでもない。こんな時勢には、天の意思などとイタズラに不安を煽る宗教も頻発するであろう。そんなものに、心惑わされることないように。

 第二には天罰。字面をみてゾッとした人もいるかもしれないが、「為政者(政治家)の不徳の致す所」の意味である。天人相関説と云い、仏教以外にも見られる思想だが、大師は為政者に戒めとしてこの説を用いている。しかし、これもまた真実に思えるのは私だけではあるまい。

 第三の業感は自業自得と読んでいいだろう。今回の死者の大半は津波による溺死であった、という報道があった。明治昭和の大津波の後、古人の教えで集落を高台に移した町は今回、最小限の被害で済んだり、或いは無事であったという。死んだ人は不運だったのか。否、津波の映像と廃墟の町を見れば、その場にいれば逃げられないと思う。生きた人が幸運なのだ。

 しかし、世界に誇る堤防だ・大した津波は来ない、と皆逃げなかった・甘く見てた、との証言が多すぎる。3月9日の地震時の津波警報にも逃げない人が多かったという証言もあった。「大丈夫だ」という心に失われた命は少なくない。大師が災いの種類を挙げられたのは、故に心して備えよ、の意である。震災は現在進行形である。今一度、心したい。

 地震津波は如何ともし難い。しかし、原発事故とその展開、支援の遅滞は完全に人災だ。支持に値する政党が無いとはいえ、機能不全の政府も我々国民が選んだ人災である。県内陸部も物の破損だけでなく経済的な二次的被災も大きい。東北内地も皆、公的支援が無い被災者なのだ。全国から数多の企業や多くの国民、世界からも膨大な支援が行われている。その一方、政府や募金団体には被災現地の視点が全く欠如しているようだ。あきれるしかない。

 週刊誌を読むと、テレビ新聞が報じない現実に戦慄する。これまでの政府行政のツケに機能不全政権下という時運、そうさせた我ら愚国民の業感。言いたい事・文句を挙げれば皆さんと同様、キリが無い。一方で、私達自身も猛省せねばなるまい。また、被災は長期に及ぶ。支援の視点にその事も忘れてならない。

 諸行無常・・苦しみとて流れ去る、いつまでも続かない。普段はこう言う。しかし今、目の前の「無常」は、ただ「儚さ」以外の何物でもなかった。前向きな言葉など薄っぺらい、全てが虚しいだけの現実があった。
 
 地震も津波も原発も、大震災終息の目途は未だ見えない。花巻上空をヘリが飛び交い被災地を自衛隊・東京消防庁・徳島長野大阪府警の車両が行き来し作業していた。頭が下がる。福島では特攻隊が命がけの過酷な作業を続けている。無事を祈るしかない。今も凄惨たる現場で多くの人々が身を挺している。誰もがこの国難の苦しみを乗り越えられるよう、祈り願う。
 



・遍照院は波切不動明王を一山のご本尊に、太元帥明王や弘法大師・地蔵尊などを奉じ、祈りの力を具現するお寺です。



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